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風俗になった銀座のみゆき族

 

1964年(昭和39年)は東京オリンピックの年だが、この年は私にとっても、忘れられない年だった。というのは、この年に11年いた東急百貨店を退職して、独立したからである。
石津先生は私に帝人顧問のポジションを世話してくれた。私が現在ファッション界で生活していけるのは先生のおかげだと思っている。

東京オリンピックでは、ある雑誌の依頼を受けて、これに参加している各国選手のユニフォームの取材に飛び回った。日本選手の真赤なブレザーやアメリカ選手のテンギャロンハットが印象にとまった。
ブレザーにも国によって各色あり、中には、民族衣装風なユニフォームもあって、取材する我々にとっても、非常な勉強になった。

この年になると、我が国においても50年代の最後の年に種がまかれたアイビーリーグ・ルックも立派に開花し、最盛期を迎える事になる。
その現れが”みゆき族”の出現である。
その時期、銀座のみゆき通りには、一風変わったヤングマンがむらがっていた。みなチャコール・グレーの上二つ掛けのスーツを着、後ろに尾錠のついたアイビーキャップやソフトをかぶったり、細く卷いた傘を持ったりした一群だった。
中には、当時ようやく日本に現われたアタッシュケースを下げているものもいる。そしてなぜか、細身のストレートハンギングのスラックスを、短めに折り返して、靴下が見えるようにしてはいている。そして靴はウイングチップが大半だった。

彼らはせいぜい喫茶店でお茶を飲む位で、ショッピングするわけでもなく、いわば自分自身を見せびらかすためにみゆき通りを歩いているのである。
マスコミは、これらの人たちをみゆき通りにちなんで“みゆき族”と名付けたが、このみゆき族の出現はアイビーが非常にポピュラーになった初めての現象と見ていいだろう。

しかし、この当時のアイビールックは、今の若者の着こなしに比べると非常に変わっていた。
例えば、前にも触れたが、若者が、カジュアルな装いをするのではなくて、チャコールグレーのスーツ、白のボタンダウンのシャツ、レジメンタルタイという風に、非常にドレッイシィに装っていたことである。
スエットシャツやジーンズから着始める今の若者から見れば、まことに不思議なことに違いない。
こうして、アイビーがブームの様相を見せると、それを着る人の年代といい、着方といい、本場のものとは少しずつ違ってきて、日本的独自性?を帯びてくるようになるのである。

話は横道にそれるが、私が企画担当の副社長を勤めた「JAX」はこの頃創業している。

 

平凡パンチ、創刊号 表紙
平凡パンチ大橋歩表紙集”より
 

MEN'S CLUB
は、当時の
ファッションバイブル

 

 


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