Page2

 



Shiro Itoh’s Archives(1)-2
●ウォアベビーが最初に熱い連帯感をかよわせたのがアイビールック

今日のヤングマンコーナーの前身とも言うべき「バーシティ・ショップ」が同店にできたのは、昭和31年である。
「松本一雄取締役がアメリカを回って、アメリカ各地にYMM(ヤングマン・マート)ができているのを知りましてね。帰国してから私に"伊藤君YMMというのを知っているかい"と聞くものですから、私は"メンズウェア誌"を読んで知っておりましたから、知ってますよと答えたんです。」
 それじゃ、つくろうということになってできたのがバーシティ・ショップなんです。10坪ほどのコーナーでVAN製品を中心に、若い男女のファッションやペンダントなどもおきましてね。
 これがものすごい反響で、2、3ヵ月後には高島屋や伊勢丹にも同じようなコーナーができたくらいです。
 もうひとつはっきり記憶しているのは、石津さんが初めて店にこられたときですね、スカイブルーのジャンパーに真っ赤なレーヨンのシャツを着て現れましてね。日本にもこんな大胆な表現をする人がいるのかと、これには衝撃を受けましたね」
 伊藤紫朗氏はデパート時代の思い出を懐かしそうに語るのである。
「デパートにこういう若者たちを対象にしたコーナーができたのは、われわれは飢えの時代を経験していますが、」戦後生まれのウォアベビーっ子は飢えからくる発想がありませんからね、遊びとか自己顕示欲が強い。そういう若い人達の欲求が出てきたということですね」
 デパートの売場から見たヤングマンコーナーの位置づけを、氏はこう診断した。
 伊藤氏もやがて人生のコースを変える時期が訪れる。昭和42年独立、企画会社アパレル・アドバイザーを設立して独自の歩みを始めるようになる。そのアパレル・アドバイザーから、今マスコミに活躍する若手のライター 出石尚三、堀洋一、吉村誠一らが輩出している。

 ひとつの時代が終わると、ひとつの新しい世代が生れる。そして新しい風俗やファッションを開花させていく。
 昭和30年代になって戦後若者風俗の第一号太陽族が30年から31年にかけて登場する。石原慎太郎の「太陽の季節」が映画化され、太陽族が新しい時代の言葉となった。
 太陽族は葉山や逗子などの湘南地帯を舞台に慎太郎カットやアロハシャツ、男も胸にペンダントをつけたりして、青春をエンジョイする若者達が横行した。
 この太陽族の登場とバーシティ・ショップ誕生の時期とが一致するのだ。太陽族は戦後10年にして、ようやく、価格体系が過去の大人達と違ったところでつくり出され始めた風俗的挑戦であったといえよう。

 大阪の南区北炭屋町に昭和26年呱々の声をあげたVANは、昭和30年、東京・江戸橋に東京営業所を開設している。
 石津がデザインしたアイビースーツがVAN製品として紹介されたのが34年、既製品として現れたのはその翌年の35年?1960年である。
 革物の風俗はマンボ族、太陽族、カミナリ族、ヒート族と続いて、60年代?ゴールデン・シックスティーズに突入する。これまでの族が小説や映画に強いインパクトを受けていたのに対して、60年代に入ってからは街というものが若者風俗や、若者の核となっていく。
 六本木族がそれである。みゆき族がそれに続いて登場する。
 三つ文字メーカーのエースVANでは、アイビーに次いでKENTの売り出し、 東京・青山、大阪にKENT・SHOPをオープンさせた。38年から39年にかけて、アイビー旋風が吹き荒れ、アイビー族が街に躍り出た。
 戦後生まれの子が、昭和39年から40年にかけて、10代の終わりから20代に達して、ファッションに初めて、熱い連帯感をかよわせたのがこのアイビールックであった。アイビーブームはその上に花開いたのである。

     
 
( 林 邦雄 ・ ファッション評論家  1982年「男子専科」9月号より )
 

copyright(C)ISLANDS since2006