日本のメンズファッション界は今、トラッドブームである。学生間のアイビー熱は今も続いている。根強い人気である。
「男専」に連載した「メンズファッション紳士録」の取材で、僕は、戦後のメンズファッションを形成した多くの"立役者"達と会見した。日本のトラッド派の大御所達がすべて登場してくる。
星野醍醐郎氏 などはまさに正統派のトラディショナリストで、英国紳士服の"憲法の番人"的存在である。保守本流だ。
この道の先達、三木晶氏になると、もう少し発想が柔軟で、トラッド・アーチストとったところだ。
ことし一月「ホッドドック・プレス」誌でニューアイビー宣言をした石津謙介氏は、ニューアイビー党党首である。
ニューヨーカー率いる小林三郎氏は多国籍トラッド派なら、VANでアイビーブームをプロモートしたり、KENTを誕生させた、くろす・としゆき氏はカストム・アイビーというところだ。くろす氏の別名は日本トラッド派の総本山"である。
トラッドのもう一方の旗印、オーセンティック・アイビーを看板にするマクベスの社長、伊藤紫朗氏は、さしずめマス・アイビーといったところだ。無類のナチュラル・ショルダーの信奉者である。
日本でトラッドというと、すぐにアイビーとアメリカン・トラディショナルのふたつのモデルを指すほど、今日ではトラッドの代名詞のようになっている。
それは、昭和39年に爆発したアイビーブームがいかに衝撃的であったかの証明でもある。アイビーの広がりは、若者達にとっては色彩のない砂漠地帯に生まれた"コロンブスの卵"的偉業であった。
戦後ヤングファッションの最初のクライマックス・シーンであるといっていい。全国のデパートにヤングマンコーナーが設けられ、VANショップが主要都市に誕生した。
もとより、こうしたヤングマンブームが降って湧いたようにおこったものではない。戦後デパートで最初にヤングマンコーナーが設けられたのは、昭和31年。白木屋に誕生したバーシティ・ショップである。
このバーシティ・ショップを企画、推進したのが伊藤紫朗氏である。伊藤もまた戦後メンズファッション史をいろどるひとりだ。
伊藤氏は東京生まれ。兵庫県伊丹中学を卒業、立教大学経済学部を出ると、昭和28年白木屋(現東急)に入社、紳士服部に配属された。
「入社して間もなく、レーンコートのダイレクトメールがありましてね。驚いたのはレーンコードを買いに来たお客が白木屋の周りを二重、三重に囲んで列をつくったことがありました。」まだ、衣料不足だったんですね。売場の品揃えも不足気味で、岩本町によく日参して、背広を仕入れに行きました。品物があれば何でも売れた時代でしたね。当時は。若者のファッションなどありませんでしたから‥‥」
伊藤氏は、そんな当時を愉快そうに回想する。
イヤーラウンド・スーツ? 一年中着られる背広という新案スーツを発表して大きな話題を巻き起こしたのも氏である。